おとなの自己研鑽
最近自分は、先生向けの研修プログラムのデザインという活動に携わった。
そんななかで、日本の先生はものすごく優れているのに、実は自己研鑽のための自由度があまりに抑えつけられていて自分を伸ばせないでいるだけなのではないか?と、そう信じたくなってきた。
とにかくこの国は、少数の企業体を除いて、「自己研鑽」とかいっておいて、その方法から費用まですべてを「自己」に押しつけ、それを「自己研鑽」と考えている。企業内でなにかやると思ったら意味不明な集合教育の講演会拝聴…とか。
研修制度をどっかんどっかん提供して「研修や受けたり特筆すべき実践をなしたりして自分のスキルアップを果たしたら給料アップ(=受けない人はそのまんま)」という国(米国等)とは、「それもやりすぎかもー」と一線を画す必要もあるのかもしれないが、しかしそれにしても、本当に発想が違う。
この国の方針は「機会均等」にならず、やはり「結果均衡」を志向してしまっている。
おとなが研鑽を積まない学校で、子どもが研鑽を積むはずが無かろう。
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