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2012.11.08

教学研究社の倒産と、教材出版業界、そして「勉強」におもうこと

教学研究社は7月5日に会社更生法適用申請していた。いわゆる、倒産。

教学研究社
http://www8.ocn.ne.jp/~okakyo/kh12_link/gakusansyuppannsya/kyougaku-kenkyuusha.htm


みんなはいま、どんな方法で勉強をしたいのだろう。ていうか、「勉強」って言葉が指す概念は、共有できているのか。

いま、すごく素朴な感覚なのだけれども、実に不安なことがある。
いま初等教育教職課程の学生に関わっていて、実に「勉強」を軽んじる空気が漂っている気がする。採用試験の受験「対策」は熱心。しかしなんというか、勉強の"文脈"を持たないというか。

たぶん、勉強ができていれば、対策は要らない。あるいは極限まで少なくてよい。いまの都心の小学校教員採用試験は、勉強ができていれば受験しさえすれば通ってしまう気すらする。そして、決して対策は勉強にならない。
でも、勉強ってこんな感じの営みだった…という文脈の共有が、いますごくしづらい。だから「勉強」と言ったときに想起することがどうも違うみたい。で、この相手が初等教育教職課程学生だから、たちが悪い。
方法が変わっただけ? いや、「強」いられたものが、ほんとに見出せない学生が居る。なんか、ないか。ほんとにないのか、別に教科学習でなくてもいいから、と探るのだけど。
なにせ初等教職は全教科。とうぜん私も知らないことがある。わたしも勉強させていただこうという気持ちで、たとえば卒業研究の取り組みを伺う。ところが、どんな狭いトピックでも良いので、とことんまで知り抜く、情報を得ようとする、「これ、どういうこと?」といぶかったり訊ねたり調べたりすることが、しないというんじゃない、たぶん、文脈がないという感じ。そんな反応が間々ある。

教学研究社の「計算ドリル」「算数ドリル」を買って反復練習…って、先生、今からやれないよ、と。そりゃそうでしょう。(大人が立ち向かう社会にあふれる課題難題に比べれば)こんな限定された内容でいいのに、「勉強」の経験・体験がないんだもの。「ふわあっ」とした蓄積で、「ふわあっ」と大学まで、来ちゃったんだよ。

大学の授業に身が入らないが、学修の合間の店舗での仕事などで入れこんでいる学生は、この文脈が、ある。大学の学修に適用しないだけ(笑)。そういうのも、いいじゃん。仕事を通じて社会貢献し、十分に職能に特有の技能や店舗経営・大人との立ち居振舞いなどを「勉強」して、それらが見についているのだから。

「ふわあっ」と、大学にいれてしまったのだ。われわれが。

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Comments

こんにちわ。

ヨルダンから帰国後は、
日本の人たちにヨルダンを伝えています。
今は、
ヨルダンと日本の学校教育を比較しているところです。

「勉強」という意味を考える
きっかけをありがとうございます。

Posted by: | 2012.11.12 at 22:51

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