たび日記 2007/3/10 朝
このプチホテル、ホテルフロントそばのロビーに小さな机・椅子を並べたところで朝食を頂くのだが、ここに置いてあるテレビが、おととい・昨日のBBC WORLDとは異なり、今日はフロントのにーちゃんの趣味でオランダの放送局になっていた。
30~40分ほど座っていたのだが、その間じゅう放送していたのが、全部外国の番組のオランダ語字幕だった。
これは以前から思っていることなのだが、「日本のソフトパワー」等は軽々に使ってしまう言葉、改めて考えるとこれの意味はものすごい。
金と技術と人の頭脳のどれか一つでも「ちょっとしんどい」国は、自国でテレビ番組を準備するだけでも大変な仕事なのだ。
セネガルでは、もうテレビ番組はフランス語と決まってる。ウォロフ語は日常会話の言語であって、ウォロフ語でテレビ番組をいちいち字幕・吹き替えをぜんぶやりとげることは、放棄した。旧宗主国の覇権のせいであるが、テレビという場で、フランスはセネガルを【制圧】したと言っても過言ではない。
自国語の字幕を付けている場合も、その元番組を制作したのは他国であって、その他国の思想やものごとの発想のしかたの影響、そして編集するさいの好みが反映されたものになっている。
ここに「自国のこだわり」が入れられない、あるいは、入れようと思うと多額の費用がかかるので「外注→自国向けカスタマイズ」ですませると安価となる。そういう国もあるということだ。
以前、「自国語で『○○学ハンドブック』が多数出せる国は、実はたいした国なのだ」という話を聞かされたことがあり、言われてみればたしかにそうだとも思った(但し『○○学ハンドブック』が出た時点でその学問のフロンティアシップが止まってしまうような気がしてならないという気持ちも湧いてくるのだが)。
日本は幸い、これまで「金と技術と人の頭脳」が揃っていたらしい。
NHKやキー局が制作したテレビ番組を何気なくみている私たちだが、これは先人の労であり、功績である。
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