たび日記 2008/08/27
続いて今日は、学校教員に対して行われている、教員研修の様子を見学。
訪れた2カ所はいずれもアンマン市内からは外れた地方都市。しかし極端に学校・研修センターの設備が貧弱というわけでもない。
1カ所目の地域は、小学校の理科室を間借りして、週2回(月曜・水曜)で実施する4ヶ月間研修の通算4日目。訪れた瞬間は、聴講して考えたことをマップにかきまとめるという、まさにワークショップ型研修の真っ最中。
2カ所目の地域は、地域の教員研修センター兼子ども学習センターの施設の広めの教室。こちらも4ヶ月間研修の通算4日目。そして、おじゃました瞬間の内容は、「コンセプトマップはどのように活用していくとよいだろうか」というテーマで、聴講して考えたことをもとにしたディスカッション。おいおい…日本の先生でもこういう内容の研修、どれだけやれてんだよ。あとは「意見を言う」が生活習慣なんだ。子どもにやってる授業の一方的さとはえらく違う(ぉぃ)。
プロジェクト日本人スタッフに伺うところによると、何かグループでかきまとめさせたりする、このワークショップ型研修のような研修スタイルそのものが、現地の先生方にはあまり馴染みがないはずだとのこと。そしてそれは子どもも同じなのだという。
それは、研修内容なども活かしながら子ども相手に授業をしてもわかるのだそうだ。昨日訪れた中等教育学校では、子どもに発表をさせる場面も取り入れていたのだが、子どもたち自身が「授業中に前に出て発表する」という振る舞い自体に
慣れていなかった。10年生(16歳)ですら、立たせると先生に向かって体と顔を向けて話し、先生がそれを「みんなの方を向いて話しましょう」と指摘する指導場面もしばしばだという。
一方、大人数でのディスカッションは、学校運営の会議などでもしばしば有るとのこと。この日は講師が、コンセプトマップについての説明で少しおぼつかない様子も見せていた。通訳役を買って出て同行してくれた女性の先生が、1次レベルの研修を受けて2次レベルの研修を実施担当してくれた方でもあったため、その場で「補足説明」をするという場面も。ちょうどこの先生にも、通訳としてだけではなく、現地の現場の先生に向かって活躍することができる、「役割」が与えられた。ちょうど良かったのでは。
で、この「役割」という点で印象深いできごとがあった。
2カ所目の後に「ごあいさつ」にいった。この地域の教育委員会でのこと。
担当のディレクターが、お会いした当初、怒っていたのだ。
何に怒っているのか。ここにアラブの「ノリ」を感じ取った。
援助・被援助の関係の間柄のとき、援助を受ける側が「怒る」というと、いくつか理由がある。
「なぜ、もっと援助の資金や機会が来ないのか」
「なぜ、いろいろ願いごとや依頼が多いのか」
まあそういう点でも怒っていたようなのだが、印象深い「怒りの理由」が、
「なぜ、私に役割が与えられていないのか」。
役割。言い換えると「肩書き」とも言えるか。
今回は、3次レベル研修の試行。
日本人講師陣から現地精鋭への1次レベル、
そこから現地選抜教員間の2次レベル、
さらにそこから下の現場への3次レベルという、教員研修の「末端」にあたる取り組みである。この取り組みを、地域をいくつか選んで進めていこうという場面。
最終的には悉皆研修へとつなげてゆくのであろうが、このODAはその最終段階までは面倒は見ない。国家・教育省が研修を「独り立ち」して回す直前で、現場への研修をいくつかの市郡で「試行」しているというわけだ。
そういうわけで、この怒っているディレクターの地域も、選抜された地域ということになる。すると彼は、『教員研修プロジェクトを試行する特別な地域の教育委員会のディレクター』という立ち位置になる。
ここで、彼には「役割」が要るのだという。「○○教員研修プロジェクト・3次レベル研修実施担当ディレクター」といった感じの肩書きが与えられて、それから様々な依頼が寄せられ、それをさばくというプロセスを経ることが彼の理想型、といったところか。
これが、アラブのフツーのオッサンの「感覚」というか、「ノリ」。
アジアは総じて「メンツ」を重視する傾向があるといわれる。これはおそらく、その「メンツ」に近いがちょっと異なる、そんな感覚がする。
「メンツ」は「立てる」「つぶす」といった動詞と組み合わせることがある。
なんだか今回のさまを「メンツ」で始まる言葉にすると、メンツを「つくる」、といったところか。
イスラームには大事な行いの一つに、弱い立場の仲間たちに寄付を惜しまない、という「喜捨」という考え方がある。しかしこれは、弱い立場のものが相手の話である。そこで弱い立場と見られる人たちは、臆せず『○○をくれ』と、なかば要求をすることが間々ある。
しかし今回のディレクターは、弱くない。こういう「フツーのオッサン」は、なにかを手に入れたいとき、以前もここにかいたが、「○○がほしい」と直接には決していわない。私の理解ではあるが、普通はこんなとき、
「仕事がほしい」
という。
おそらく、私は喜捨の対象である弱い立場の人ではないという、そんな感覚のなかにある「メンツ」なのではないかと思う。
そこで、本人のなかにメンツを「つくる」のである。そしてそれを認めさせようとする。その点で単なる「○○くれ」という要求ではない。「役割を与えよ」というのである。
こう私は解釈している。
夕方に、なんと2005年・セネガルで出会って以来の方と歓談。
そして夜は和食にしてみた。巻き寿司が"本物"のテイスト。大満足。
今日の歩数:8000歩
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