『へえ、ムガベって人望があるってことよね』
『ジンバブエ、"軽く政権移行を演出"してみました』を書いたところ、家のなかから指摘があり。
『「ウズベキスタン爆発の続報」のエントリ中に書いてある
「アフリカは長期政権ばかりだから、アフリカ連合(AU)はムガベにツッコミが入れられない」
は、的確ではないかも。』
師曰く。
『アフリカでも、「ほんとうにこれは違う・間違っている」という場面では、仲裁者が出てきて間に入る。』
『そうでない場合はツッコミが入らない。また「アフリカ目線でオカシイ」という場合はもめごとに仲裁が入るが、「欧米的にオカシイ」に過ぎない場合は、むしろ当事者とされる人物が援護されることもありうる。』
この例として示してくれたのが、セネガルとガンビアの間であった出来事。
Gambia acts to end Senegal feud
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/4310520.stm
時は2005年8月。同年9~10月のラマダン(イスラム教の断食月)の時期と重なるなかでの出来事。
ガンビアは、セネガルに南北をはさまれた国。セネガル人がこの南北を行き来する場合、ガンビアに入国し、さらにガンビア国内を横断する川を横切っていくことになる。このガンビア国内のフェリーの代金が物価高を理由に、突然約2倍になった。
交易にもこのフェリーを使っていたセネガル人は大激怒。利用をボイコットしたり費用支払を拒否したりしはじめた。ガンビアも実はセネガル人がフェリーを使ってくれないと収益的にはマズイので、両国がともに経済的ダメージを受ける結果になってしまった。
そこで10月初旬、近隣・ナイジェリアのオルセグン・オバサンジョ大統領が「仲裁」に登場。ガンビアには値下げを、セネガルにはボイコット中断を、それぞれ持ちかけ、状況を収めたのだという。
で、ここ1年のジンバブエの状況(2008年4月大統領決選投票→ムガベが敗北を認めず大統領居座り→西側諸国が大批判→10ヶ月かけてムガベに勝ったとみられる(対立相手だった)者を首相に据える)については、こういうことだという。
『決選投票でムガベが負けたというが、AU(アフリカ連合)諸国(の少なくとも首脳たち)は「それは西側のリクツ」と捉えているのでは。』
『ジンバブエが現に究極的な経済不安になってしまってはいるのだが、「選挙」が「西側の演出」とみなされているもとでは、AUはそこに同調はしない。むしろムガベはAU諸国から人望を集め、支援されることになる。』
『チャンギライ氏が首相に座るのに10ヶ月「も」掛かった、といいたくなるのは「西側の感覚」に過ぎないかもしれない。単にアフリカだから時間が掛かっただけかも。』
『ムガベがときの欧米の香りのする政権を倒していまの地位を得たのも事実。これだけの経済状況下でも、その功績を無視できないと考えたり、年上の者・高齢者を敬うアフリカ諸国のお国柄から、強く責めることが難しいのかもしれない。』
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