アフリカ中東のこと・日本のことが書けずにいた
2月のジャスミン革命を起点とした地中海沿岸アフリカと中東の状況、そして3月中旬以降の日本のことが、結局書けずにいた。あまりにその動きや社会的影響が大きすぎて、言及するにしてもどこからどのくらい扱えばよいのか、途方に暮れるほどの「でかさ」だった。
地中海沿岸アフリカ・中東については、起きていることを、政治・統治制度への市民によるレジスタンスという「目に見える動き」だけで判断するだけでは、あやうい。表向きは民主化運動がクローズアップされ、発言力の大きな諸外国はそれを歓迎しているようにみえる。だが実際には、これら諸外国にとって当該国のことは、政治制度よりも政治的安定と権益の確保が大事なポイントである。だから現に、これまでの間、市民がこのたびのようにレジスタンスを示したくもなるような政治制度が、糾弾もされず維持されてきた。
また、2月2日にも少し書いたし、また後日書き足ししたいが、地中海沿岸/中東のような相対的に日本人が想起しやすい国以外、大多数のアフリカの国々の政治体制はどうか。このほうが、国数も、人口規模も、よほど大きい。
そして日本の事態。わたし自身は、自宅(学生寮)の大学院生の安否確認、物資輸送のお手伝い、さらに散らかった居場所の整理などで明け暮れた。
今般の事態は、日本と、世界からみた日本のイメージを、心理的に、確実に、急激に冷やす。初動の「どうにかなる」志向も、相当ひどい状況をつくった。そういう事態が、そういう国だといぶからせるような、そんな現実が来た。
メンツやつじつまはもうどうだっていい、なりふりかまわず…という振る舞いをしないといけない状況に、直面している。なのに、これまでつじつまを責められ続けたトラウマか、振る舞えないでいるようにも見える(ひいき目に見たとして)。
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