情報戦と心理戦の重要性、そして「田中上奏文」。
急に、ほんとうに急に、国境のことが伝えられるようになった。この国のこの「急さ加減」に、なんというか、やはり辟易とする。
ところで今月のNHK「さかのぼり日本史」で、「田中上奏文(Tanaka Memorial)」が扱われた。
NHK-Eテレ「さかのぼり日本史」
http://www.nhk.or.jp/sakanobori/schedule/index.html#series_03
松岡・国際連盟大使は、「受け流す」こともできた偽文書に対して、その真偽を追及するという対応に出たことで却って国際社会に日中間対立の存在を印象づけてしまう結果に陥った…というのは、この番組の「田中上奏文」に対する扱い方の一端。
この話題が取り上げられた番組自体からは話を離れさせていただくが、いかに「情報戦」が、外交においては重要な位置を占めるかということが、ここで歴史から学ぶことのできる教訓ではないだろうか。
たとえば今年の日本の「太平洋・島サミット」で「到底返せないほどの巨額のODAはいかがなものか」と名指しされたある国は、フィジーで国内全域にケーブルテレビ配信網を敷設するという援助をした。テレビなんてまったく縁のなかった地域も多数あったわけで、その効果は絶大。そして当然、配信されるテレビ局の一つは同国国営TV。そのおかげか同国の言語学習熱はフィジーで急上昇。それだけならまだしも、その局でとうぜん編集者の意図が込められた番組が多数放送されて…ということで、これは「情報戦」の最たるもの。
ちなみに、かの「太平洋・島サミット」で今年はこのフィジーが欠席、というオマケ付き。
Wikipedia:
http://en.wikipedia.org/wiki/People's_Republic_of_China–Fiji_relations
The interpreter:
http://www.lowyinterpreter.org/post/2010/02/04/Chinese-aid-in-Fiji-Behind-the-hype.aspx
また、「情報戦」について語る時の「情報」はあきらかに、Informationではなく、Intelligence。こう捉えること自体もこの国でメチャクチャ抜けている視座であり、大事なポイントだろう。なにせこの国は高校教科「情報」に "Information" という我慢できないくらい恥ずかしい訳語を当てる国だから。まあ「情報」が期待されている教科内容の範疇が広すぎるのも(教科「情報」の側ではなく他教科側の? ;p )問題なのだけど。そんなわけで恥ずかしすぎるので、「せ、せめてもうチョイましな訳語を…」と思う私は、ワザと「自分は大学で、2003年から日本の高校で始まった"Information technology for society"という教科の指導法の科目を担当している」と、日本語非ネイティブに対して言うようにしている(ただし実は、forか andかで、私は時々迷う。でも、既存教科への「越権」を避けたい場合はforかなあ、と(爆)。)。
で、このたびのかの件の急な「露出度」上昇をみるに、取り上げられること自体を悪くいいたくはないが、外交マターまでもが『ワイドショー』的に扱われることだけは、どうしても、どうしてもこの「田中上奏文」の扱いにみられる「日本の反応のしかた」が想起され、いろんなことが懸念される。
どうか、この手の話題の進め方の文脈が「ポピュリズム」で形づくられませんように。その点で、心理戦を制することも肝要。さらにどうか、『非暴力』で。
あとは、世界レベルで受けとめれば、言葉がすぎるかもしれないが「あ、なんかあそこでモメてくれてる。ラッキー!」くらいに足蹴にしている者も実は多く居るということにも、意識を寄せたい。
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