シリアの停戦合意が崩れて…イード・アル・アドハ(あるいはタバスキ)
1日も持たない。実に深刻な状況が続く。
REUTERS: Syria bombards major cities, weakening truce
http://www.reuters.com/article/2012/10/27/us-syria-crisis-idUSBRE88J0X720121027
REUTERS: シリア軍施設周辺で激しい衝突、一時停戦合意は早くも破棄
http://jp.reuters.com/article/jpAntigovernment/idJPTYE89P05T20121026
REUTERS: シリアで死者70人超、「一時停戦」初日に武力衝突
http://jp.reuters.com/article/jpAntigovernment/idJPTYE89Q00G20121027
AFPBB.com: シリア、停戦開始後に150人が死亡
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2909558/9743468
特使にアナン氏が出てきても無下にして、一方で続いて特使にブラヒミ氏が来たところで応じるというシリア大統領のアサド氏。こんなところからも、まず、大義や正義、どんな人が大切なのか、そして自身の気高さ(けだかさ)に関する、アサド氏やシリア政府のような中東人の感覚と世界との違い、が感じられる。
しかし、犠牲祭を前に停戦を宣することに意義があるというくらいにしか思っていないのでは?といぶかるばかりの今回の合意の軽さ。さらに、反政府勢力側が伝える犠牲者数
http://jp.reuters.com/news/globalcoverage/antigovernment
も増えてゆくばかりで、実に厳しい状況。トルコ・ヨルダンに難民キャンプが増えているだけではなく、トルコとシリア政府側の対立も起き始め、相当厳しい深みにはまっている。
家で、今回の合意をめぐって話をきいてみたところ、『世界じゅうでみても相対的に厳格なほうである宗教の宗教心よりも、人の恨みや怒りのほうが、今回はずっと強かったということなのだろう』と。
結果としてもう反故にされている今回の停戦は、イード・アル・アドハ(地方によってはタバスキ、あるいはクルバン)と呼ばれる宗教行事がきっかけになっていた。月の巡りで基準を決めて12に区切っているイスラム暦(ヒジュラ暦)の最終月の行事。なお日本で用いていた太陰暦でいう「閏六月」にあたる補正がないため、1年355日で刻んでいくと、毎年約11日ずつ日程がずれる。
この日(イスラム暦の12月10日)は、その前日(12月9日)がメッカ巡礼のいわば「いちばんいい日」であるウクーフ。その巡礼に行けない人たちが、動物を1匹、「生けにえ」として捧げる。羊、山羊、牛が使われることが多いとされているようなのだが、供した動物を貧しい人たちで分け与えるというのが宗教実践的趣旨。なので、たとえばヨルダン・アンマンのような大都市の市街では、街なかのほうぼうでバシバシ羊が捌かれ…というわけではない。一方で、セネガル・ダカールのような(サイズ・経済規模の)都市では、この日の前後に市場へ出向くと道ばたが血まみれ…だったりも、する。
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